境内散策

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境内の建造物と文化財

萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
一番西側にある「総門」をくぐり右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」を望むことができます。天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
萬福寺の伽藍はそのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。

これら萬福寺内の建物は一般的な日本の寺院建築とは異なって、宗祖隠元禅師が日本に渡ってこられた中国の明時代末期頃の様式で造られており、建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。

大雄寶殿(だいおうほうでん)重文

萬福寺の本堂であり、最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重なものです。本尊は釈迦牟尼佛。両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両脇に十八羅漢像を安置。大棟中央に火焰付、二重の宝珠。正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。上層の額「大雄寶殿」は隠元書。下層の額「萬徳尊」は木庵書。本堂内部須弥壇の上の額「真空」は明治天皇の御宸筆。

釈迦如来坐像(中尊)

京大仏師兵部作、寛文9年(1669)造立、木造、像高250cm。当寺の本尊。摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が脇侍として安置されています。

十八羅漢像

従来の鎌倉、室町の十六羅漢に、「慶友(けいゆう)尊者」と「賓頭蘆(びんずる)尊者」を加え、十八羅漢とした明代寺院の形式を受け継いでおり、中国に現存する大雄宝殿と同様です。写真は羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)です。

歇山重檐式(けっさんじゅうえんしき)

中国・韓国・日本で宮殿や寺院を建立する場合の最も基本となる建築様式は歇山重檐式と呼ばれます。外見上、二重構造に見えますが、下方の檐(屋根)は装飾であり、内部は単層構造です。

蛇腹天井(じゃばらてんじょう)

黄檗天井ともいい、龍の腹を表しています。本堂のほか、法堂、開山堂の主要建造物の正面一間分の軒下の垂木はこのように丸く、かまぼこ型をしています。中国にも同様のものがあり、「檐廊(えんろう)」と呼びます。

天王殿(てんのうでん)重文

萬福寺の玄関として天王殿が設けられています。
中国では一般的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀ります。×型の組子を入れた匂欄は、日本では特異なたすき匂欄で、中国で使用されているデザインです。

弥勒菩薩(布袋)坐像

范道生作、寛文3年(1663)造立、木造、像高110.3cm。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒仏とされています。布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で、定応大師と号しました。

石條(せきじょう)

境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。

法堂(はっとう)重文

禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。須弥壇上の額「法堂」は隠元の書であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。

獅子吼(ししく)

費隠書。釈迦の説法を、獣中の王である獅子が一度咆哮すれば、百獣すべてが従うことにたとえ、獅子吼といわれています。

勾欄(こうらん)

開山堂・法堂正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様になっています。これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていますが、江戸時代初期にあらためて黄檗を通じてもたらされたものです。

斎堂重文

堂内に緊那羅王菩薩を祀っています。高脚飯台と腰掛があり、本山僧衆の食堂です。
表には鬼界の衆生に施す飯を乗せる生飯台(さばだい)があります。前方入口の前には、「開梆」と「雲版」があり、食堂を禅悦堂ともいいます。聯・額ともに木庵の書。

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)

黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。また魚梆、魚鼓とも呼ばれます。叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。
雲版は、朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。青銅製。

緊那羅王菩薩立像

范道生作、寛文2年(1662)造立、木造、像高107.5cm。八部衆のひとりで、楽器を演奏し歌を得意とする音楽天とされています。斎堂に安置され、衆僧の食事を見守る火徳神です。

三門重文

三間三戸。重層の楼門造りで、左右に裳階(もこし)、山廊があります。大棟中央に火焰付宝珠があります。正面の額「黄檗山」、「萬福寺」は隠元書。ここを入れば脱俗の清浄域です。円柱を用いた建物は、三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。

総門重文

中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用い、漢門とも呼ばれました。中央上部裏面には円相が型取られています。これは風水的モチーフの一つ、「白虎鏡」です。額「第一義」は第5代高泉の書。この額字には高泉和尚が何度も書き改められたという逸話があります。

開山堂重文

三門をくぐってすぐ左に曲がると、通玄門という朱色の門があります。それをくぐると氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)、白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がり、真正面に開山堂があります。
ここに黄檗開山隠元禅師をお祀りしてあります。毎月1・15日には山内の僧が祝拝し、3日には開山忌を営みます。祥忌の4月3日には、他山からの僧を招待して厳粛に執り行われます。

通玄門重文

開山堂の正門。この門は重要な結界の一つであるため、円柱となっています。奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門。

隠元禅師像

范道生作、寛文3年(1663)造立、木造、像高161.7cm。造立時は白払子を手にしていたようですが現在は失われています。実物の毛髪・髭が植えられ、しわなども克明に彫られて、写実的な像です。禅師の生前に師の古希を祝して造られた寿像です。